今くらいのは死後くらいから
生まれてすみません
太宰治のトカトントン
▼ここから▼
作家・太宰治生誕100年の今年、
フランス人映画監督が太宰の生涯を
描くドキュメンタリー映画を制作している。
『なぜ生きるのか』という太宰の真摯
(しんし)な問いかけは欧州でも伝わるはず」と話す。
オカもんは中学生の時
「生まれてすみません」の人間失格を
読んで一晩眠れなかった衝撃を受けたことがあります。
生きることそのものへの倦怠感、
無意味感を強烈に描いている小説でした。
そんな太宰の小説の中に「トカトントン」
という小説があります。
主人公は何か事を起こそうとすると頭の中から
「トカトントン」という乾いた音がする。
その音がしたら、何やっていたんだろう、
すべてがバカバカしくなる
小説書いて最後の場面を考える。
ところがその時「トカトントン」
全部がどうでもよくなって原稿
やぶりすててしまう。
政治運動に参加。みんなで熱く議論をしている。
するとトカトントンと乾いた音がする。
ともだちもなにもかもなげだしてしまう。
好きなと一緒になる寸前。
トカトントン つまらなくなって別れる。
そして小説の終わりの方は
「この小説は遺書です。しかしこれを書いているうちにもトカトントン、
トカトントンと音がしているのです。」
という作品です。
トカトントン
いつというわけでもない
どこというわけでもない
突然、自分の人生のすべてが
どうでもよく思えてしまう時が
あなたにはありませんか?
そんな心をごまかして生きていませんか?
そんな、得体のしれない闇を
お釈迦様は無明の闇といわれました。
その無明・心の闇の解決が私たちの人生の目的であり
それを教えられたのが親鸞聖人の教えなのです。
★無明の闇を破するゆえ
智恵光仏と名けたり
一切諸仏三乗衆
ともに嘆誉したまえり
(親鸞聖人)
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