今がくらいのは死後くらいから
ある女子大生の告白2
むなしさの心理学より
「その子はよっぽど甘えてるんじゃないの。
わざわざ大学にまで行かせてもらって、
ブラブラしていて、親に悪いと思わないのか。」
そうではないのだ。面接の中で彼女は、
学費を出してくれている親に
対する「申し訳なさ」を何度も語っていた。
最近の学生の中ではかなり
真面目なタイプに入るほうである。
いわゆる怠けではない。だから問題なのだ。
最近はこのような、具体的な形にならない、
いわば「悩み以前の悩み」が増えている。
特に大きな悩みがあるわけではない。
けれど何をしていてもつまらない。
やる気が出ない。何もしていないのに疲れてしまう。
このような、理由なき無気力や疲労感を訴える人が
増えている。
また、具体的な症状や問題がないから、
周囲の人になかなか理解して
もらえない。これも本人にとっては、なかなかつらい。
それでも、こう言いたくなる人もいるかもしれない。
「でもやっぱりそんなの自分で解決するしかないよ。
人に相談しても仕方がない。
恋をするとか、専攻を変えてみるとかして、
何か生きがいになることを自分
で見つけるしかないんじゃないの。」
自分で解決するしかないというのは半分当たっているが、後の半分は
やっぱり外れである。彼女の苦しみは、あれやこれやの「生きがい」を
見つけることで解決するような類のものではない。
彼女の最後の言葉を思い出してほしい。
彼女の苦しみは、
「この世に生まれてきたことの意味」
をめぐっての苦しみである。
彼女が訴えているのは、
「人生のトータルな意味」
がわからない、
だから「生きている実感」が、
その手応えがつかめない、
ということなのである。
そしてこの彼女の真摯な訴えは、
そのまま私たち一人ひとりを
突き刺してくる。
おまえはほんとうに
「この世に生まれてきたことの意味」を、
「生きている実感」や「たしかな手応え」を
感じながら生きているのか、と。
ノーベル文学賞受賞者 カミューは
人間には生きる意味を知りたがる衝動が
鳴り響いているといっています。
どんなに物質に恵まれても
どんなに友達に恵まれても
やりたいことが見つかったとしても
はなれない空しさ暗さは
「人生のトータルな意味」がわからない
「必ず死ぬのに何のために生きるのか」
分からないところにあるようです。
わたしたちの何をもとめても
なにを手にいれても満たされない
くらいさびしい、一人ぼっちなこころを
仏教では「無明の闇」
といいます。
この無明の闇こそが私たちの苦しみの原因なのです。
この無明の闇の正体を明らかにして
この無明の闇を破り、
よくぞ人間に生まれたものぞと生命の大歓喜になることが
私たちの人生の目的です。
それを明らかにされたのが、
仏教であり、親鸞聖人のみ教えなのです。
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