今がくらいのは死後くらいから
「むなしさ」の心理学
なぜ満たされないのか
諸富 祥彦 (著)から引用
ある女子大生の告白
最近は、何をやってものめりこむ
ことができません。
遊んでいても授業に出ていても、そんなことをしている
自分を見ているもう一人の自分がいて、
「こんなことやって何になるんだろう」という
気持ちになってくるんです。
友だちと遊んでいるとみんな楽しそうだから、
「こんなこと思ってるの私だけなんだ」と思って、
余計に落ち込んでしまいます。
一番ツライのは、雰囲気壊しては悪いから、
笑顔をつくろい続けなくてはならないこと。
大学ももう、やめてしまおうと思ったけれど、親に悪いし、
ほかに特にやりたいことがあるわけでもないから、
とりあえず続けています。
私だって、このままでいいと思っているわけではありません。
一刻もはやくこのむなしさの蟻地獄から脱け出したい。
でも、どうしたらいいかわからない。
そのきっかけがつかめないんです。
先生、私どうすればいいんですか。
助けてください・・・・・。
「この世に生まれてきたことの意味」がわからない
どうだろう。彼女の気持ちがわかるだろうか。
引用おわり
お釈迦様は有無同然といわれています。
ものが有っても無くても
みたされていない、むなしい、さびしい
くらい心はかわらないのだよといわれています。
わたしたちの何をもとめても
なにを手にいれても満たされない
くらいさびしい、一人ぼっちなこころを
仏教では「無明の闇」
といいます。
この無明の闇こそが私たちの苦しみの原因なのです。
この無明の闇の正体を明らかにして
この無明の闇を破り、
よくぞ人間に生まれたものぞと生命の大歓喜になることが
私たちの人生の目的です。
それを明らかにされたのが、
仏教であり、親鸞聖人のみ教えなのです。
次回に続く
★親鸞聖人のお言葉
難思の弘誓は難度海を度する大船
無碍の光明は無明の闇を破する慧日なり。
親鸞聖人
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