今がくらいのは死後くらいから
くらい心:無明の闇
女子大生の告白
「むなしさ」の心理学
なぜ満たされないのか
諸富 祥彦 (著)から引用
ある秋の日の午後、
一人の女子学生が私のカウンセリングルームを訪れた。
彼女の話はつまり、次のようなことだ。
私は、何か特別な悩みがあるわけでもなければ、
すぐに解決しなくてはならない問題を抱えているわけでもありません。
だから本当は、ここに来る必要はないのかもしれない。
けれど、毎日がとにかくむなしくて、
つまらなくて、
たまらないんです。
それを何とかしたいと思って
サークルに入ってみたり、
友達と深夜まで遊んでみたり、
やたらと勉強してみたりしたの
だけれど、どれもうまくいかない。
その時々はもちろん、
楽しくなったり充実した
気持ちになることはあります。
けれど、どれも瞬間的なもので
すぐに冷めてしまうんです。
私は最初、彼女はちょっとした
孤独や寂しさを紛らわせたくて、
ここに来たのだと思った。
最近あまり面白いこともないし、
この先生まだ若いし気さくそうな人だから、
ちょっと話をしてみよう。
そんな気持ちでいるのだと、
やや気楽に構えて話を聴いていた。
けれど、どうやらそうでもなさそうなのである。
もう少し、彼女の話を聴いてみよう。(続く)
「むなしさの心理学」という本からの引用です。
ここで出てくる女子大生は特に何かが
足りないわけではないようです。
ところが、なぜか心は満たされない。
現代は物にあふれています。
どうしてもこれがなければならない
という切迫した「不足」
を感じることはないでしょう。
ところが、それでも
「未だ何かが足りない」
現代は「不足」の時代から
「未足」の時代といわれて
久しいですが、これは現代に限った
ことではないのです。
お釈迦様は2600年前から
有無同然、ものが有っても無くても
みたされていない、
むなしい、さびしいくらい心は
かわらないのだよといわれています。
わたしたちの何をもとめても
なにを手にいれても満たされない
くらいさびしい、一人ぼっちなこころを
仏教では「無明の闇」
といいます。
この無明の闇こそが私たちの苦しみの原因なのです。
この無明の闇の正体を明らかにして
この無明の闇を破り、
よくぞ人間に生まれたものぞと生命の大歓喜になることが
私たちの人生の目的です。
それを明らかにされたのが、
仏教であり、親鸞聖人のみ教えなのです。
★親鸞聖人のお言葉
難思の弘誓は難度海を度する大船
無碍の光明は無明の闇を破する慧日なり。
親鸞聖人
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