今が暗いのは死後が暗いから





★20世紀最大の哲学者ハイデガーは

私たちの満たされない心【退屈】を三つに分けています。

1、手持無沙汰で電車を3時間まつ退屈

2、カラオケ、コンパに熱中して、さて、明日から仕事と思うと

ああ・・さっきの楽しみってなんだったんだろう・・という退屈


この2つまでお話ししていましたね。

さて、ハイデガーはこの2つの退屈よりももっと根本的な

人間の存在そのものにかかわる第3の退屈があるんだといっています。


第3の退屈 

「日曜日の午後、大都会の町々を歩いていて、思いがけず突然なんとなく退屈になる」



★ある女子大生の告白

遊んでいても授業に出ていても、そんなことをしている

自分を見ているもう一人の自分がいて、

「こんなことやって何になるんだろう」という気持ちになってくるんです。

友だちと遊んでいるとみんな楽しそうだから、

「こんなこと思ってるの私だけなんだ」と思って、余計に落ち込んでしまいます。

★唯川恵さんの本の中で描かれている孤独



【同じ孤独でも、みんなで集まってワイワイ騒いでいる中で、ふっと異次元に足を滑らせてしまったような孤独です。】
【楽しいのに、みんながそばにいるのに、どうしようもなく孤独に陥ってしまうことが。】

★太宰治のトカトントン 人間失格の作品も

ハイデガーのいう第3の退屈を描いています。

★そしてハイデガーは

第1、第2の退屈は気晴らしでごまかすことはできますが

この第3の退屈は人間の存在、そのものにかかわる退屈なので

決してぬぐいきることはできないといっています。

そして現代の社会にはこの退屈にこたえるすべを

もたないともいっています。


★第3の退屈、

いいかえると

それは


何のために生まれてきたのか

生きているのか分からないということです。


これを仏教では
無明の闇といいます。

この無明の闇を生きている今、

破って大安心大満足の心になることが仏教の目的なのです。

★無明長夜の灯炬なり

智見くらしとかなしむな


  親鸞聖人


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